ハムレットの苦悩の実態と悲劇について考えてみた

シェイクスピア四大悲劇の一つに数えられる「ハムレット」。この「ハムレット」は復讐劇でもある。「主人公であるハムレット王子が、一国の王であった実の父を毒殺され、犯人へ復讐を実行した」というシンプルな話が、どうして悲劇と呼ばれるにいたったのだろうか? 悲劇と呼ばれるからには、ハムレットの考える復讐の理想形が、観るものに伝わったはずだ。なぜなら、その理想の復讐の形が実現しなかったからこそ、観客が悲劇と感じたに違いないからだ。日本で有名な復讐劇に赤穂浪士たちの忠臣蔵があるが、その話は、主人公が最期死を遂げるなど、幾多の人間が死、家族たちの悲劇が重なっていようとも決して悲劇と思われない。むしろ理想の復習がきちんとなされているがゆえ爽快感さえ味わえる復讐劇となっている。

すなわち、ハムレットの悲劇とは、ハムレットの復讐における理想の結末とは一体何であったのかを考える必要がある。

ハムレットの復讐の始まりは、彼自身が自分の父親が殺された真実を知らされるところから始まる。父親である前王の亡霊から、叔父である現王のクローディアスに殺害されたことを聞かされたハムレット。亡霊だけにその存在自体に信憑性が有るか疑わしいが、ハムレットだけが見たわけではなく、自分の友人たち、特に真友であるホレイショーも見ていることからその存在は疑うべきものではなくなっている。ましてその亡霊は、ハムレット以外には何も語らず姿を見せるだけで、息子であるハムレットだけにしかクローディアスに毒殺されたという真実を話さない。ハムレットは、父親が自分にだけ復讐を煽ったという事実を、一体どう受け止めたのだろうか? すなわち「単に殺害という短絡的な結論ではないなにかを求められたのではないか」とハムレットが考えても不思議ではないということだ。実の子供として、王子としてできる復讐とは一体どのような形なのか? 彼は頭を悩ませたに違いない。

さらに、彼にとって父親は尊敬に値する人間だったが、完璧な政治を執り行っていたわけではなく、他人から恨まれても仕方がないことも実際に行っていたことをハムレットは知っていた。すなわち、即座にこの亡霊の言うことがすべて信じられるわけではなかった。こうして、真実を探りながら、亡霊の求める最良の復讐の形、そして殺害の方法を見つけるために、そのそぶりを一切悟られることのなきように、気のふれた芝居を始めることにしたハムレット。そして、その父親である亡霊が「素早いモグラのように」地中を移動して、常にハムレットを見張りしつこく復讐を求める中、ハムレットは何とか状況証拠を積んで、自白をとろうと考え、ついには劇中劇を仕込むことにする。この真意を隠すために、気のふれた芝居を続けたハムレットであったが、この作為に満ちた行動が、悲劇を呼ぶ事となるのであった。

結論から言うと、実はハムレットは王子という立場上いくらでも復讐する機会はあったものの、この理想の形を模索してしまったがために、悲劇を生み出してしまったのだ。この容易に殺害できたという事実は三幕三場に「今ならやれるきれいさっぱりと」と出てくる。だが、「俺は見事、仇が討てる。いや、待て、ここは思案のしどころだ」とすぐに思い留まってしまう。そうしてしまったことで、ハムレットにとっては予想外の多くの人間の死という最悪な結末を迎えてしまう。すなわち、この「いち早く犯人を殺害という形で復讐さえしていれば、悲劇は訪れなかった」という事実が、ハムレットの一番の悲劇なのである。この予想外の多くの人間の死の行方をたどり、彼の悲劇を整理していく。

ハムレットは、父親の亡霊から叔父による暗殺を聞かされる前から、前王の死後二か月足らずで現王・クローディアスの后となった母親・ガートルードを嫌悪している。この時代では、前の夫の弟の再婚は近親相姦と同じに思われており、ハムレットは母親・ガートルードに「心弱きもの、お前は女」と心変わりを容易にしてしまったことを責めたてていた。さらにハムレットが「親類と言うにはより近いが、心はよほど遠い」とかつてより発言するほどクローディアスを嫌っていた事実を知りながらも母親が彼を夫に選んだという事実。すなわち父親や自分への思いがその程度であったことを悟り、かつ、そんな母親から自分が生まれていることに彼が苦しんでいた所に、父親の亡霊より暗殺の秘密を告げられる。それも、父親の死後、母親が夫として即座に選んだ相手が父親を殺害した叔父クローディアスだという真実。この母親の早すぎるまでの再婚という事実。これは、母親がクローディアスの父親殺害の共犯ではないかと考えてもおかしくないほどの状況証拠であり、彼をより一層、ガートルード不信に陥れた。

しかし、そんな母親に対してでも復習という形はとりたくなかったに違いない。共犯でないことを信じ、ガートルード自らがクローディアスによる父親殺害の事実に気付き、そして、自分から、后の座を捨ててほしかったはずだ。こうなることでも殺害者・クローディアスへの復讐の一端としたかったに違いない。だからこそ、挑発的な言葉を母親に浴びせ続けた。しかし、いくらその言葉を浴びせようとも、それを決して実行しようとしない母親を見て、ハムレットは女性に不信感をさらに強くしていく。こうして母親との関係性が、彼の理想化された母親像と大きくかけ離れたものであることを自身で悟っていき、彼の根源の世界もひどく揺らいでいくこととなる。

さらに、この母親との崩れた関係により、男に対する女性への不信感が拭えなくなってしまったハムレットはその矛先を、愛する人・オフィーリアに向けていく。気のふれた芝居をしているハムレットはオフィーリアへの愛を閉じ込め、こんな母親から生まれた自分も不貞の子だからと、自分を愛していると言ってくれているオフィーリアへ尼寺に行く事を勧める。これは、美しさ溢れるオフィーリアが清廉潔白で居続けていてほしいがために、女性不振のハムレットがだした結論であった。ハムレットからしてみればこれは実現を見ない切望であっただろうが、それがオフィーリアをひどく落ち込ませることとなり、この後訪れる予想外のオフィーリアの死は、この彼の気のふれた芝居に端を発している。これこそハムレットからすれば全くの本意ではなかったはずであり、ハムレットが復讐の理想を追い求めた故の悲劇なのである。

そして、ハムレットがクローディアスの重臣であるオフィーリアの父親であるポローニアスを意図せず殺害してしまうことが、愛するオフィーリアの死へと繋がる。このポローニアス殺害という事故がハムレットにとって最大の想定外の出来事であり、ドラマは急展開の様相を見せていく。この事故を利用したクローディアスの策略により、ポローニアスの息子であり、オフィーリアの兄であるレイアティーズがハムレットに復習するために、彼と剣を交えて倒れ、さらには母親・ガートルードもクローディアスがハムレットを毒殺しようと用意した飲料によって、その場で死を迎える。

叔父のクローディアスは、同じ場でハムレットの剣に倒れることから、復讐という形では成立した。が、そこへたどり着くまでに、自分、そして愛する人も含めた多くの人間が犠牲になってしまう。

こうして叔父のクローディアスを殺害すればよかったのに多くの人が息絶え、さらには、自らも毒牙にかかり、死んでしまう。この予想外の出来事の連続が悲劇としてのクライマックスとなる。

こうした彼のキャラクターは、巧みな掛詞や言葉遊びのセリフ、また鋭い突っ込みからも高い知性が感じられ、さらにクローディアスやその重臣ポローニアスらに対する厳しさ、かつ、かつての父親の行っていた政治に対する非難からは正義感がうかがえる。そして、母親ガートルードや彼が愛する女性オフィーリアに対する態度から潔癖症も解釈できる。この真面目すぎるほど真面目な彼の性格が災いし、こうした不幸を連鎖させていってしまった。いくつもの葛藤から自分自身を追い込んでしまったのだ。

「高貴なるものが凋落するさま」を描くのがギリシャ悲劇のテーゼである。高貴なものとは、知世・身分・強さを兼ね備えた存在である。そして凋落は、運命的な必然、すなわち逆らいようがないものによって行われるものである。知勇兼備で道徳的にも正しい存在が、運命に世って凋落していく様に「悲劇性」がありそれに人は惹き込まれていく。ハムレットもクローディアスの殺害以外の予想外の出来事は、まさにどうすることもできなかったのである。

結局、復讐からは何も生み出さないという事実だけが残り、誰一人として幸せにならない愚かな結果に終わる「ハムレット」。すなわち理想の復讐の形など存在することがないのだ。

そして、ハムレットはホレイショーには「生きろ」と言う。なぜなら彼はハムレットの行った復讐の無意味さを理解できる賢さを持ち、ただ一人の信頼のおける友であり、この顛末の傍観者ゆえ、の成行きと真意とを唯一理解していた者だからだ。これこそ、この復習という無意味な事象を多くの人に伝えてほしいと、シェイクスピアが復讐劇「ハムレット」を通してホレイショーに期待を込めたに違いない。

つまり、ハムレットとは一般観客に復讐劇(流血エンターテインメント)のカタルシスを与えつつ、さらにホレイショーの視点を持てる観客にはハムレットが復習に悩んでいる姿を見せることで、その無意味さをより深く考えさせるためにとった悲劇という形だったのである。

参考文献

小田島雄志「シェイクスピアの恋愛学」新日本出版社

松岡和子「深読みシェイクスピア」新潮選書

尾崎一美「ハムレット王毒殺!ポローニアス!! 盗み見たな!」近代文芸社 







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