「情報システム」を使った社会のコミュニケーションに思う。

  

 コミュニケーションは、情報を受けたり、渡したり、あるいはその相互作用によって生まれる。それは個人対個人に留まることなく、個人対企業であったり、企業対企業であったり、様々な形態の中で情報の行き来がなされることによって、多種多様なコミュニケーションを成立させている。

こうして現在では、膨大な量の情報が取引されることによって、把握しきれないほどの多くのコミュニケーションが存在している。実はその一部には、知らないうちに自分自身も組み込まれており、自分の情報を無意識のうちに流出させてしまっている。

すなわち、私たちは普段生活していく中で、現代社会の「情報システム」に組み込まれており、その結果、気付かぬうちに自分の情報が利用され、他者とコミュニケーションをとっているのだ。例えば、日常生活において家の近くのコンビニエンスストアでポイントカードを利用して買い物をする光景はよく見かけられるものであるが、その際に、自分の購買情報がコンビニエンスストアを運営する企業に伝達され、蓄積されている。そしてそこには、自分自身の購買情報が供給されていくことで、その店舗にその人個人が好む品がより多く取り揃えられるように改良されていき、さらに使い勝手が向上していくという「情報システム」が存在する。また、交通システムのICカードや自動車で使うETCカードからの情報、あるいはカーナビゲーションシステムにおけるGPS機能を使った情報などでも同様であり、自分の行動の情報が意識しない間に流出している。それにより電車ダイヤの改正や渋滞緩和のためにその提供されたその情報が利用され、より自分にとって利便性に富んだものに変更されている。こうして、企業と個人消費者との間のコミュニケーションが生まれる情報システムによって企業は利益を上げ、消費者は利便性が向上するという、お互いが「WIN-WINの関係」を生み出している。

この自分では把握していない中で、情報が伝達され、他者とコミュニケーションをとってしまっている現状が、情報システムの発達したこれからの社会ではますます当然のこととなる。そしてさらにビッグデータという名の下で様々な方法によって利用されていくに違いない。また、この無意識の内に集められた情報ばかりでなく、例えばコールセンターなどを使って企業が意識的に蓄積した多くの顧客情報も、その企業にとってのコスト削減とサービスの向上などの為に再利用され、さらにはその情報を他業種へ販売することも行われるようになりつつある。

こうして情報は、企業が利潤の追求の為に必要なものとなっていき、今後ますます、あらゆる情報の集積が企業にとって競争力を高める上で不可欠なものとなっていくだろう。

では、こうした多くの情報のやり取りが容易に行えるようになる社会は、生活にどのような影響を与えていくのだろうか? 

コンピュータの全世界への爆発的な普及は、世界中の細部までネットワーク社会を構築し、私たちは情報を電子的手段で容易に集めることが可能になった。そして社会ネットワークが世界中に張り巡らされ、情報がインターネットを通じて、世界中から瞬時に集まってくるようになった。この社会ネットワークの中で、私たちが快適に生活していくには今後ますます国内だけの情報だけでは不十分となっていくだろう。すなわち海外からの情報を意識して入手するようしながら、新たなコミュニケーションを形成していかないと、地球規模で見た場合、時代に取り残される可能性が生まれてくる。貿易立国となっている日本では、海外からの情報を活用することはワールドワイドな市場での競争の中ではすでに大前提となっている。それは企業間だけということではない。例えばネットオークションなどでは、個人間の競争も世界規模で行われていくようになった。こうして海外からの文化がパーソナルコンピューターを通して容易に閲覧できる現在では、個人にとってもすでに国内・国外という概念は意味がないのかもしれない。特にパソコン上でのコミュニケーションでは、翻訳ソフトの発達も相まって、海外からの情報も手軽に手に入りつつある。

この社会ネットワークの成立で地理的に離れた人々の間との共同作業をも可能にし、世界中のどこにいても同じ会議に参加できるなど、ワールドワイドな情報交換が瞬時に可能になり、コンピュータを通しての協調が容易になった。パソコンを使用したインターネットの普及によりコミュニケーションもデジタル化し、非同期システムが主流になっていく中で、この会議などの同期システムは、人間同士のコミュニケーションの上でますます重要となっていくと考える。そして、国内で完結することないビジネスにおいては移動時間などの費用対効果のことを考えると、ますます会議などの同期的システムはインターネットを利用したものがますます主流になるだろう。これにより生活時間の違いの問題が起こる可能性もあるが、どこか母体となる場所の生活時間でその同期システムが運用され、それが定例化されれば大きな負担にはならないと考える。例えば、国際協調の中で仕事を行っているISSの運用では、ISS内の宇宙飛行士の生活時間を中心に会議等の同期システムが進行する。あらゆる分野がコンピュータで管理され、すべて非同期システムにより運用ができるにもかかわらず、アメリカのNASA、ロシアのRSFA、フランスにあるESA、筑波にあるJAXAが、ロンドンの世界標準時をISS内の時間として会議などの同期システムを利用し、各国コミュニケーションをとりながら調整を行い、ISSを運用している。

世界の株式マーケットを見ても、世界中のどこかで株式市場が開き、24時間体制で各国通貨が売られていくという機械的な日常において、インターネットでの会議などの同期システムを運用し、時間を効率よく使う必要性を感じる。さらにはパソコンの普及により家庭内出社などが主流となればなるほど、コミュニケーション面においてこそ、この同期システムが重要となっていくと考える。

こうして、ネットワーク社会においてインターネットなどの利用で、非同期システムがますます主流になることは間違いないのだが、そのような時代だからこそ、どのような場面でもこれから同期システムによるコミュニケーションはますます重要性を帯び、取捨選択しながらもシステムを洗練していく事で実用化していかなければならないと考える。

こうして世界中にコミュニケーションの対象が広がり、ますます情報の重要性に気付いた企業は、さらに企業独自にそれに対応する手段を講じるようになり、企業内部での情報システムの構築にも力を注ぐようになった。社内情報を、世界中に散らばる社員が会社内ネットワークを通して容易に共有できるようにしたり、それを利用しやすいようにデーターベース化したりし、さらにナレッジマネジメントに代表されるように、社内のコミュニケーションを活発化させ、あらゆる部署にいる特化した人材や知恵の情報を収取し、社内の知的生産性を高めていくようになった。

これは当然の流れだと考えられる。情報の重要性を多くの人々が強く認識したからこそ、情報をコンピュータによってデジタル化していくシステムを構築し、その獲得をより早く、そしてより多く求め始めることとなった。すなわち世界から、より多くの情報を手に入れた企業が、より多くの利益を得ることが顕著になったからだ。

 また、現代では情報の獲得、そして共有を行うためにソーシャルネットワークシステムが発達している。同じ情報を共有するコミュニティを容易に生み出し、大ネットワークが形成され、共生が進んだ。このソーシャルメディアにより、個人間での情報のやり取りも瞬時に行われるようになった。そして、このソーシャルメディアを通じて、世界の誰からでも安価に、情報が発信できるようになった。こうして現在ではコアな情報に関して、その情報に関する専門家自らが、このソーシャルネットワークを通してマスの人間たちと直接繋がり、情報を発信できるようにもなった。その精度も、マスメディアから発信されるような信憑性に富んだ高価な情報と変わらない場合が起こりうるようになった。

以前まではこれらの個人的な情報には正確さが欠落している場合が多々あった。そこには責任の欠如があったからだ。マスコミに代表される情報伝達は、例えば太平洋戦争中の大本営発表などをそのまま発信していたことや、イラク戦争の大量破壊兵器などの存在の有無などを調べず戦争を煽った事例などを鑑みても、正確を期しているとは決して言えないが、そこには最低限のマスコミとしての社会的リスクを背負っていた。現在では、日本の多くのマスコミも株式会社化され社会的リスクはさらに大きなものとなっている。

それとは異なり、責任のない情報が世界中から発信されているが、ここで言う専門家を発信源にしている情報とは、個人の責任の名の下に発信されており、もし、マスコミ同様、誤った情報を流出させた場合、ウェブ上でその個人自身が批判にさらされる可能性を示唆している。それでもその情報を利用する場合には、マスメディアから流されている情報と違い、その信憑性を確かめるのは困難であることは承知の上で、私たちはきちんと情報を精査する必要性が生じてくる。この信憑性の精査における判断については、各人が多様性となるさまざまな方面からの情報を得ることである。あらゆる方面からの情報を自分なりに比較検討することで、自分なりにより正確な判断へと近づけていく必要があろう。

こうして現代社会はネットワークによって世界細部まで繋がっていき、「マス」とはいずれ国内に留まらずワールドワイドを意味するようになるだろう。そして、少なくとも人口が減少していく日本において、あらゆるマーケットはますます世界を相手にしていかないと生き残れなくなるだろう。いずれにしろ、これからの日本ではドメスティックで完結できる産業はなくなると言っても過言ではない。労働提供や技術提供あるいは、一次産業ですら飼料、燃料から販売ルートまで世界的な分業の時代が訪れている。安価、安全などのキーワード一つをとっても、より多くの情報を得るためにあらゆる市場が世界に向いている必要性が生じる。すなわち、情報をより正確に、より早く、より多く獲得し、それを使いこなすことが、これからの生活においてますます重要性を帯びてくることとなる。

こうして人間が、富、すなわち金銭的利潤を求めた結果、効率優先の現代社会では、情報の正確さを担保したうえで、我々はその量の多さと獲得までの速さを「情報システム」が張り巡らされたネットワーク社会に求めるようになっていった。

しかしこれからは、それだけに終始すべきではない。それにより、情報格差の問題が起こることとなってしまったからだ。これは、情報を入手する資金や手段が不足していると、日々生産される新たな情報を的確に得られない。例えば受験産業1つを例にとってみても、これからますます海外の学校で勉強する機会を得る人間が、あらゆる年齢層で増えていく中で、どこの学校がより就職に有利か、高額の生涯賃金を得ているか、そこに入学するためにはどのようなルートがあるのか、何をしていれば有利に入学できるのかなど、より有利な情報を知っているか否かで、人生を左右させることが起こりうる。受験戦争という言葉はいささか古さを帯びているかもしれないが、戦争と呼称のつくものはまさに情報の格差に晒される。世界中で頻発しているテロの脅威に至っては、ますます自分の命を守るために英語以外の言語からの情報すら必要になっていくのかもしれない。こうして、取得できる情報量の格差により不利益をこうむると、負のスパイラルに陥りそこから脱出することが難しくなってしまうことが示唆される。特に経済・就職など戦争と名のつくものは、まさに情報戦に敗れている間は有利に物事が運べないだろう。

こうして知る権利を有している人間の下では、情報も人間の最低限の営みである衣食住と同じ範疇に位置づけ、格差をなくすネットワーク作りも意識するべきだ。青空文庫などにも代表されるように、平等に情報が与えられえる「情報システム」作りがこれからのネットワーク社会にはますます必要となっていくだろう。

これにより溢れんばかりの情報が世界中を駆け巡ることとなるかもしれない。しかし、それには情報を使う側が取捨選択をきちんと行う必要性が伴うことを忘れてはいけない。

情報は与えるものでも、与えられるものでもない。自分が、今、必要としているか否かがその情報の価値を決めていく。すなわち、無料だからと言って相手から押し付けられた情報にどれほどの価値があるのか自分できちんと判断する必要がある。例えば、戦中の国威発揚のための戦火の情報なんかよりも、国民が当時マスコミから本当に必要としていた情報とは、配給のことであったり、医薬のことであったり、探し人のことであったはずだ。

こうして、ネットワーク上に溢れる無料の情報に決して振り回されることなく、情報には価値があることをきちんと認識しつつ、有料でも払う価値がある情報か否かまでもきちんと見極める力こそ、この情報社会を生きる私たちに求められている。とりわけ一方的な意見を拾いがちになってしまいがちな私たち日本人は、これからは初等教育から世界の多様性を認知させ、英語だけに偏ることのない言語や各国の文化に興味を抱かせる工夫を凝らすことが重要となるだろう。ネットワーク社会が成熟していけばしていくほど、世界は近くなりさまざまな情報を自分なりに処理していく機会が増えることとなる。そのためにネットワーク社会では、インターネットを使いこなし、必要な世界の常識を知っておく技術を初等教育で身に付けさせる必要があるのだ。

ネットワーク社会において使い方を一度誤ると、犯罪と結びつく可能性をはらんでいるインターネット。そして、アップロード、ダウンロードそして削除も容易にでき、証拠がなかなか目には残りづらいネットワーク社会。紙媒体のように証拠が目に見える形で残らないだけに、これからますますインターネットを恐れることなく駆使できるような教育も必要となってくる。

これからは、政府からの情報の支給など無料で配布される情報にすら疑いの目を持てるぐらいの見識が必要となる時代が来るであろう。各人が情報に対して、さまざまな角度からの多様性を意識たうえで、自分なりの情報処理をしていかなければならないと考える。

参考文献

駒谷昇一、山川修、中西通雄、北上始、佐々木聖、湯瀬裕昭

IT textシリーズ「情報とネットワーク社会」オーム社




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