『伊豆の踊子』の主人公における踊子の存在について思う

今、排外主義の高まりを肌で感じる時代となっている。アメリカもフランスも極右的な論調が巷を騒がせ、世界各地で民族主義が台頭してきている。日本でもヘイトスピーチが横行する事態が起こり、例外ではない。

『伊豆の踊子』はロマンチックな短編小説として、小学生にも親しめるノーベル文学賞作家・川端康成の代表作である。しかし、この小説は随所に身分違いによる差別からこの排外主義を描いている。それは、物語の中に登場する、主人公に大きな影響を与える旅芸人の一行に関する差別である。

この物語は、主人公の<私>が旅芸人の一行と出会い、踊子に淡い慕情を寄せ、精神的に清められ、孤児根性の桎梏から解放されるという「主人公の浄化の物語」と見なされていることに異論はない。だが、主人公である<私>がこの浄化をするにあたり、旅芸人たちへの排外主義を目の当たりにすることで内面に大きな影響が与えられたと考える。

『伊豆の踊子』において主人公が踊子に淡い慕情を寄せると書いたが、実はこの淡い恋心と言うのはある短期間の間に消え失せていたのではないかと思えてならない。踊子と出会ったばかりの頃の<私>にとって踊子は17、8歳の女性であり、恋心の対象として好意を感じ掛け替えのない存在となっていたのは間違いないであろう。しかし。踊子が数え年14歳のまだ子供であったことがわかってからは、<私>の心境に変化が起こったと思われる。すなわち、<私>にとって踊子は恋心の対象ではなくなってしまったと思われる。だが、少女の踊子は以前とは違う意味で<私>にとって新たな存在感を示し、恋心の対象を超えた大事な存在となっていったのである。では、その主人公である<私>にとって、踊子の存在意義とは何だったのだろうか? そこに、世間の排外主義により差別を受ける踊子の存在があったように思われる。

<私>と踊子はあまりにも違う世界に住んでいる。誰が見ても決して平等な立場ではない。二十歳の<私>は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐えきれないという理由で伊豆の旅に出ている。そんな旅ができるほど経済的にも裕福な第一高等学校のエリート学生である。すなわち主人公は、自分自身の不幸な生い立ちゆえに、これほどまでにゆがんだ人間になってしまったという「自己嫌悪」と、そのような境遇に甘える「自己憐憫」という二つの自意識による「精神的疾患」の治癒という理由だけで伊豆の旅に出られる程の身分なのだ。

一方この<私>対して、旅先で出会う旅芸人たちは当然、食べるため、生活のために旅をしている。そのためか踊子は、尋常小学校を2年までしか通っておらず、字も上手く読めない。それだけでなく踊子の所属する旅芸人の一行は、世間からは「あんな者」と差別されている厳しい立場の人間たちであった。<私>の一人称で書かれているこの小説は、旅芸人を見る目線となっており、この彼らに対する差別の描写は文庫本でわずか30ページの小説の中で6度も登場するほど頻繁になされている。

「あんな者、どこで泊まるかわかりやしませんよ。(中略)お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。」という天城峠の茶店の婆さん。

「あんな者にご飯を出すのはもったいない」という宿のおかみさん。

「物ごい旅芸人村に入るべからず」という立て札、他。

それほどまでに差別を受けているからこそ主人公の<私>はその旅芸人の一行たちにシンパシーを感じたに違いない。なぜなら<私>は、精神的には孤児として「生」の人々から疎外された存在であったからだ。まずこの疎外されたもの同士という共通意識が、深層で両者を結び付けたと考える。

こうして、知識レベルや経済力はもちろんのこと、世間的に誰が見ても全く違う身分であった旅芸人の一行と出会い、一緒に旅をすることで主人公は変わっていく。

踊子の兄夫婦などは、出産したばかりの子供が生後一週間で死んでしまっているにもかかわらず、卑屈になることなく「生」に対して前向きである。こうした彼らの事情を<私>が一緒の旅路の中で知るにつれ、主人公が自分の「生」への向き合い方との違いに気付いていったと考える。なぜなら、後からついてくる踊子たちを<私>は振り返る度に、「孤児根性」から脱け出すことができるかもしれないという明るい喜びの予感が<私>の中に沸々とこみ上げてくるような描写がなされているからだ。

その旅芸人の中でも特に、少女である踊子が与えた影響が大きかった。なぜなら、踊子はその年にして背負っているものが自分より大きいと思えるにもかかわらず、眩しいばかりの「生」への活力が漲っているように感じられたからだ。

踊子は数え年14歳と言う子供であるが、同じ旅をしている年上の女性たちを見れば、おそらく今後の自分の運命を察知できたと思われる。さらに旅芸人という河原者と言われる身分から抜け出すのは容易でないことは。わかっていたはずだ。それでも彼女は天真爛漫に逞しく生きていた。それが<私>には眩しく映ったに違いない。孤児根性が学生の主人公の<私>に芽生えているということは、<私>も踊子と同じ年の頃にはすでに孤児となっていたと考えても不思議ではない(実際に川端康成は乳児期に両親を亡くし、16歳の時に祖父を失うことで孤児となった)。すなわち今の踊子と同じ年のころから、ずっと鬱屈した人生を送ってきた<私>にとって、そのような踊子の存在は目から鱗であったに違いない。エリート学生であり、世間の人間から旅先でも尊敬される自分よりも、はるかにつらい人生を歩むだろうそんな踊子の、明るく生きる姿をみて<私>が何か感じないわけはない。こうした踊子と一緒に旅をすることで、若さゆえからくる<私>の悩みの小ささに気付いたに違いないのである。

さらにこの旅芸人の一行は男性1人に数え年14歳の踊子を最年少に女性が4人の5人連れである。この時代はまだ男尊女卑の思想が跋扈しており、物語内でも女性が汚らわしいと書かれている描写が2か所ほど出てくる。すなわち、踊子たちのこの世間での生きづらさは、男であり、且つエリートの<私>とは比べ物ならないほどのものであったはずである。その眼前たる事実も主人公はわかっていたはずである。

一方、旅芸人、特に踊子に対する世間の偏見が強ければ強いほど、<私>が声高かに差別に対して反論したりはしないにもかかわらず、<私>は踊子たちにとっていかに「いい人」であるかが際立っていったようだ。そして<私>は決して計算高くない子供である踊子に「いい人はいいね」と褒められる。この踊子が心を許したように思わせる一言がより一層、普段卑屈に生きてきた日常を忘れさせ、自分を素直に「いい人だ」と感じることができるような状態へと内面を変化させていった。

こうして自分より弱者であるはずの旅芸人の一行と行動を共にすることで、主人公の<私>は自分の甘さのようなものを感じとっていったに違いない。これまでの自意識の過剰さに思いが至ったに違いない。

そして最後、ついに<私>は旅芸人たちと別れ、船で帰京する。その際に、老婆とこれから孤児となるだろう孤児三人を無事に東京に届けてほしいと依頼され、共に船に乗ることとなる。孤児根性の桎梏から解放されるために旅に出たはずの<私>が、天城隧道を戻ることなく、船によって孤児を連れて帰ってくることの意味は、彼の新たなる船出を暗示していると考える。<私>はこの船の中で涙を流すが、これは別れの悲しみの涙とは考えられない。最後の一文の「快い」という表現からも、彼の気持ちはすでに整理がついていると考えられるからだ。さらに<私>は、船中で涙を流している時には、すでに踊子は過去のものとなっており、人前で堂々と泣き、清々しい満足の中にいる。そして、彼は人の親切を素直に受け入れ、やがて孤児となる三人抱えた老婆を助けることが至極あたりまえのことだと思えるほど人に優しくなっているのだ。この終着点こそ、この小説の魅力であり、<私>が踊子と共に天城隧道を通ってきた旅の結果だと考えたい。

この物語の冒頭で、<私>は以前にすれ違ったことのあるこの旅芸人の一行を追いかけて、天城の隧道の手前の茶屋に到着すると、そこで「到底生物とは思えない山の怪奇」である水死人のように全身蒼ぶくれの爺さんと出会う。すなわちこの死を連想する老人との出会いからこの小説は始まっている。そして、この老人の残り短いだろう「いのち」は、<私>が彼らと旅して天城隧道を抜けることで「若桐のやうに足のよく伸びた白い裸身」を持つ踊子の「いのち」の息吹へと移り変わっていった。この隧道を挟み、死へと向かっていた老人と生がみなぎる若き踊子との生と死をこの小説では重なり合わせなければならない。

こうして踊子とのこの旅で<私>は明らかに人間的に成長した。踊子と旅を共にしたことで差別というものを間近に感じ、自分と比較できたことで自分の殻を破ったのだ。この踊子を筆頭にした旅芸人たちへの周りからの差別による<私>の同情とも取れる好意は、<私>のこれからの生き方を大きく変えた。「人は1人では生きられないし、生きていないのだ」と。こうして<私>が孤児根性というコンプレックスを超克するにあたり、まだ少女であった踊子は、「生」の象徴であり、触媒のような存在となったと考える。

私たちもこの時代、多くの差別を目にする。彼らに主人公の<私>のように後ろ向きなシンパシーを感じるよりも、差別にあっている人と同じ人であることを意識できるような、前向きな「生」を感じていたいものである。

 

参考文献

富岡幸一郎『川端康成 魔界の文学』岩波現代全書

田村充正『「雪国」は小説なのか』中央公論新社

『伊豆の踊子の世界―踊子の女神説―』金惠姸

小谷野敦『川端康成伝』中央公論新社

『古典から現代まで名作アルバム』PHP研究所

中村邦夫『名作はこのように始まる 伊豆の踊子』ミネルヴァ書房

清水義範『「読書」必勝法』講談社

文芸春秋 2014 8月号






猪突猛進チチの治外法権

バカの壁を取っ払い感じたままを生きる

0コメント

  • 1000 / 1000