1984年以降現在へ至る「日本文化論」についての考察

「国際化」という言葉が使われるようになって久しく、特に現代においては頻繁に耳にするところとなった。この国際化への原点は、『「日本文化論」の変容』によれば、1984年以降、日本文化が外圧による規制緩和なども含めた「真の開国」へと向かわざるをえなかったことに始まっている。

そこで、日本の国際化とは何を意味し、どのようなことを目指しているのか考えたい。

太平洋戦争で崩壊した日本経済が復活した日本は、1979年にはすでにエズラ・ヴォルゲールが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と表していたように、1984年ごろまでには、日本の文化的特殊性と日本的経営方式が高く評価され「日本神話」と言われるようになっていた。しかしこの時期から、人口は一億人を超えてはいるものの、総面積38万平方キロメートルにも満たず、資源も乏しい世界的に見て小国である日本が、欧米と比較して経済的に強すぎるという批判の下で、ジャパンバッシングが行われ始めた。

すなわち、この経済的成功を収めたことによることで、日本は「主権統治国家」と「市場経済圏諸国の一員」という今日の近代国家の主要条件が欠けていると批判され、経済的成功に酔っていた日本人に冷や水を浴びせ、国際社会からそれまでの「日本神話」の終焉を余儀なくさせられるものとなっていく。

 しかし、この「日本神話」の代表である「集団主義」や「他者との依存関係」などは、日本特有の現象ではなく、ドイツを代表とするヨーロッパでも見て取れ、あらゆる人間社会の中に認められたものであった。これは「コミュニティ」すなわち日本で言う「世間」のことを意味している。

しかし、日本が欧米と大きく違うのは、この「コミュニティ」における世間体という目に見えないものに、日本人は右往左往させられてきた。日本においては、古くから村落共同体として社会そのものを律してきていた。そしてこれが日本に島国根性と揶揄されるような、排他的な感情を芽生えさせる原因となってきたと言っても過言ではない。すなわちこの村落共同体中心に育まれた社会が日本人の多様性に対して寛容さの欠ける性質を助長させてきた。だからこそ日本は、1984年以降特に強くこの日本的な集団主義を意識し、より世界的な普遍的な立場に立たないと国際社会から孤立するという危機感から、その改革を断行しようとしたのだ。

その結果か昨今、町内会というかつての村のシステムが崩壊し、特に都市部おいては人口が増えているにもかかわらず町内会の維持が困難なほど加入者の数が減少しているという事実がある。この町内会の良し悪しは置いておいて、これも集団意義からの脱却により個人主義が増えたことを示す例の一つであると言える。今日では「コミュニティ」が仲間社会という形式が許容される範囲でのみ、限定された形で存続しているに過ぎなくなってはきている。

すなわち、今や旧態依然とする日本のシステムは大きく変えなければならない時代が到来していて当然である。すなわち、今まで使い慣れていたコンピューターのオペレーティングシステム(OS)をWindowsからMacへ変更するぐらい根本的に、社会システムが変更されることを実感できるほどの、意識変革、制度変更をしていく必要があるということだ。そして、このコミュニティに頼らない大規模な社会を公正に運営するためには、多様性による普遍妥当性が要求され、明文化された法のもと、社会の運営が任されることになる。

ところが、日本においては、コミュニティ的要素が社会の深部においては未だに入り込んでいて、この普遍妥当性が忘れ去られてさえいる状況も往々にして目にする。それにより日本は未だに多様性に乏しい国であると言われる。単一民族、単一言語という中で長い間国を形成し続けてきた結果がなかなか根本的な性質を変えられないところもある。だからこそ、みんなで同じことをすることが当然であるとされてきた。例えば、就職活動している大学生たちを例にとれば一目瞭然であるが、同じ時期に、同じような服をきて、同じような髪型にして、同じような鞄を持ち、靴を履き就職活動を行うさまは、日本にいる欧米各国の人間から見ると異様な光景として映ると言われている。すなわち、欧米では髪も目も肌の色も違えば信じている宗教も違い、当然髪型も洋服も違う格好で、就職活動を行うことが当たり前で、その違いが就職に影響されることはないと信じられている。この多様性が当たり前の国と同じ土壌でこれから日本も国際化の道を進んでいく事を意識していかなければならないことが大前提となる。

こうして、今日の日本に要求されるのは、その日本のコミュニティ的要素を排除し、多様性を許容し、普遍妥当の規律の下に経済が循環していくということである。また、さらにそのようなことができる人材を、すなわち普遍妥当性に立脚した議論と施行ができる人材を教育機関によって養成しなければならない。

では、これからの日本において、この普遍性というものは一体何であるのかをきちんと考えておかなければならない。欧米中心、特にアメリカに寄り添う日本は、『「日本文化」の変容』によれば諸外国からみると今やアメリカ化されどこに日本文化が残っているのか不透明なところがあると言われていると書かれている。すなわち、日本における普遍とはアメリカでの普遍であり、世界の普遍ではないかもしれないことを認識しておく必要がある。すなわちアメリカでの普遍に日本の真の国際化の道があるのかは、はなはだ疑問があるということだ。このアメリカにのみで通用する「普遍性」によるこれからの開国のままでは、真の国際化への道とは大きな隔たりがある。

我が国の外交政策は、他国との関係の中に日本を位置づけ、強国と縦の関係をいまだに結びたがる傾向がある。それはアメリカに負うところが大きい。これは国際社会において日本はいまだにコミュニティを信じている、あるいは信じたいと感じているということの表れかもしれない。

昨今の太平洋経済協力会議(TPP)における経済再生担当大臣の甘利明は「TPPは日本再興の切り札」とは言っているが、是非ともアメリカの普遍に陥るのではなく、日本自らが国際化のルール構築の一端を担って欲しい。これからの日本の国際化においてアメリカにおける普遍、アメリカにおけるルール上での国際化ではなく、世界のルールメーカーになり、且つ国益を確保することこそ日本の進むべき道である。それにより国際社会の中の日本と言う新たな日本文化の構築がなされるはずだ。

技術立国である日本の技術者たちの話によると、例えば宇宙開発など最先端の技術開発では特に、いち早く日本独自のスペックによって工業製品の規格を作りだしているという。しかし国際化の波の中で外交という競争に敗れ、そのスペックは採用されることなく欧米中心のスペックにとってかわられることが多々あるというのだ。これにより日本製品は、ガラパゴス化という名のもと、製品の品質の良さも相まって、より一層独自路線を歩み、日本コミュニティが独自性を帯びた一層強固なものへとなる経験を体験し続けてきている。

このような時世の中で、かつての「コミュニティ」による日本的経営が大企業によっても可能であったのは、戦後一貫して経済が拡大してきたという特殊な経済環境があったからこそ可能であった。なぜなら、バブル経済の崩壊後の経済成長が停止多段階では、もはや終身雇用に年功序列などを含む日本の村的経営などというものは、存続できなくなってしまっているからだ。これからは日本の人口減少も加速し、日本コミュニティだけでは経済も立ち行かないのは自明の理である。

1984年以降の日本は、日本の企業はすでに国際的な活動も始めていて、国際社会における日本企業の活動も無視できなくなる一方で、日本社会や経済のシステムが国際社会のそれとはずれている状態の矛盾が噴出した。そして、国際社会の日本制度に対する不満が一気に爆発した。それでも、しばらく日本が強さを保てていた間は、その不満の矛先を何とか他へ向けられた。けれども、一度バブル経済が崩壊し、銀行などへ外資の導入が避けられなくなると、国際標準も受け入れざるをえず、企業の立て直しのためにも今まで日本社会を保護してきた規制緩和を行わざるを得ず、企業も日本的経営を捨てざるをえなくなり、今日に至っている。

しかし、未だに日本人の意識はこれまでと大きくは変わってはいない。さらに、新たな日本文化の目標も定めることができていない。こうして日本が仲間社会への志向を続け、普遍妥当性を重視するには至っているようには感じられないのは、今の社会情勢をみても明らかではないだろうか。

すなわち、今の日本はいち早く新たな日本文化を構築させなければならないという状況にあるのだ。そう考えた場合、もう一度原点に帰る必要性がある。あの多くの過ちを犯した太平洋戦争による敗戦で日本人がそれまでの日本を省み、再出発しようとしたあの原点である。それには1945年~1954年に相当する日本文化の否定的特殊性の認識の時代に書かれた川島武宣の批判的日本文化論は、再び今日的な意味を持つように考えられる。そこには第一に「権威の重視を止める」第二に「個人の考えをもち自分自身に責任を持って行動すること」第三に「自主的な批判・反省を重視すること」第四に「「ウチ」「ソト」の垣根を下げてセクショナリズムを抑制すること」と書かれている。現代日本の対中韓をはじめとした諸外国に対するスタンスを、真の国際化へ向け敬虔な立場に立って考えなければならない。

それぞれの場においてにコミュニティは必要だが、かつての日本文化のようにそれに左右され、自分の考えを消さざるを得ないコミュニティがこれからの時代はあってはならない。さらに、巨大組織の運営までを左右するようなコミュニティによる公正な社会運営は不可能だ。よって行政や大企業の運営を普遍妥当の原則に従い、それを教育された人間たちによって運営すべきなのだ。

日本は現代に至るまで多様性に対して免疫があまりにもなかった。これからの日本の国際化とはこの多様性に順応していく事に他ならない。それは例えばシリア難民に対する国会議員たちの考え方や日本の難民を受け入れている人数と、ヨーロッパ諸国のそれに対する対応を比較しても、まだまだ順応できていないことは明らかだ。

これからの新しい日本文化を構築していくには、ますます真の国際化を進めるにあたって人も社会も、他民族、他文化を受け入れられる土壌をいち早く作りだす必要があるはずなのである。

参考文献

青木保『「日本文化論」の変容~戦後日本の文化とアイデンティティー~』中公文庫

文芸春秋オピニオン『2014年の論点100』






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